イベント「市民が考える脳死・臓器移植」の成果・資料公開
イベント参加者の感想・意見(抜粋) −−討論のための参考資料として−−
この資料は、青い表紙の報告書『科学技術への市民参加型手法の開発と社会実験』に収めた、イベント参加者の感想・意見から、「市民の提案」へのコメントや、今回試行した新手法への批判や改善の提案など、公開シンポジウムにおけるフリーディスカッションの論点になりそうなものを、主催者側の判断で抜粋・要約したものです。必ずしも、皆さまから頂いたご意見を網羅したものではありませんが、討論の手がかりとしてお使いください。
1)「市民の提案」に関すること
感想・意見の内容 | 参加者属性 | Page | |
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全般的な評価・コメント (肯定的評価) |
バランス感覚のある提案。中身は重い | 市民パネル | 56 |
専門家・説明者のお話のすべてを「市民の提案」に盛り込むことはできなかったが、資料集を併読していただければ、提案の意味するところがよく理解していただけると思う | 市民パネル | 56 | |
非常に重要と思われる根本的な事についての提案であり、いずれの項目も十分議論できた | 市民パネル | 57 | |
全体として、日本人の国民性や文化を含めて考えると、妥当な提案 | 市民パネル | 52 | |
(1)脳死と呼ばれる状態は人の死なのか、(2)その状態を医学的に間違いなく判定できるのか、(3)脳死状態の人の扱い(脳死と臓器移植など)−−の三つの論点を中心に、いまだ解決されていない問題が残されていることをよく捉えている。 | 専門家 | 82 | |
(提案の性格) | 市民パネルが最後までこだわったのは「情報」と「脳死は死か」だった | 市民パネル | 52 |
それぞれの市民パネルが知っていたことの確認であり、もともと持っていた自らの意見を専門家の話を根拠として補強し、まとめたものにように感じた | 市民パネル | 52 | |
(問題点) | 一般市民ならではの視点、より根本的より素朴な疑問、提案が抜けてしまった(臓器移植は、ほんとうに必要なものなのか、人間に幸せをもたらすものなのか) | 市民パネル | 55 |
市民が集まって提案を作るということの独自性なり特徴が、提案の内容にあまり反映されていない | 市民パネル | 68 | |
各論や少数意見をほとんど提案の中に盛り込めなかった | 市民パネル | 68 | |
脳死に偏りすぎた感がある | 市民パネル | 70 | |
提案の文面だけ読むと、なぜそのような理解に至ったのかが分かりにくく、文章として説得力に欠けるものもあった | 市民パネル | 68 | |
短文形式の提案によって会議の成果を世に問うことが効果的なのか。提案の形式についての検討があった方がよかった | 市民パネル | 68 | |
提案の文章量(情報量)が少なすぎる。一つひとつの提案を読んでみても、あまりに常識的なことが多く、それほど知識のない個人が一人で書いてもあまり変らないのではないか | 専門家 | 84 | |
当事者の視点が欠如している | 専門家 | 補遺 | |
脳死臓器移植を単なるディベートのテーマとして考えなくなったときに、初めて考えることができるようになる | 専門家 | 81 | |
移植待機者のことを考えると、我々は態度決定を迫られている。決定しながら議論を継続し、議論しながら決定しなければならない | 専門家 | 81 | |
脳神経外科医が、臓器移植を否定はしないものの、その前提として脳死状態の人を死んでしまったと言い切ることには強い躊躇を表明されていたのが印象的だった | 専門家 | 83 | |
個別の論点について (1 脳死) |
移植医療肯定の大きな波にのまれながら、脳死は死かという問いに対する明確な回答の留保を必死に死守した | 市民パネル | 71 |
今回のイベントでは、問題は「脳死が死であるか」という点に収束した | 市民パネル | 53 | |
「科学的な死の判断にはグレーゾーンがある」というが、むしろ、医学的に定義されるある状態を死とするかどうかは価値判断に基づかざるを得ないので、生の状態とも死の状態とも断定できないということではないのか | 専門家 | 83 | |
脳死と臓器移植を区別して考えるべきかがどうして問題になるのか、理解できない | 専門家 | 83 | |
いまさら「脳死と臓器移植を区別して考えるべきか否か」と考える価値があるのか | 専門家 | 76 | |
脳死が死の状態か生の状態か専門家の間で意見が分かれるという認識は最も残念 | 専門家 | 86 | |
脳死は生の状態とも死の状態とも断定できないということを理解したとされるが、趣旨は必ずしも明らかでない | 説明者 | 89 | |
(2 脳死判定) | 「脳死判定基準に厳密にしたがって判定が行われている」は重大な間違い | 専門家 | 75 |
(3 意思表示) | 脳死が死であるかよりも、その状態をきちんと理解し、そのような場合に移植をしたい人はすれば良いし、嫌な人は拒否すれば良い、それだけのことではないか | 市民パネル | 53 |
脳死下での臓器提供には本人の意思表示、家族の同意が必要という理解は、現行法の解釈か、立法論か明らかでない | 説明者 | 90 | |
(4 医療としての臓器移植) | 移植の効果や、本当に移植でしか助からない患者の数は不明 | 専門家 | 77 |
医学的根拠を明確にすべき責務、過去の非倫理的・非合法的行為の清算、も提案すべき | 専門家 | 77 | |
脳死臓器移植以外の医療は当面の間期待できないという移植医の認識を、市民パネルがどう検証したのか不明 | 専門家 | 86 | |
「再生医療」にも脳死移植と同種の問題が存在する可能性が想像されるべき | 専門家 | 86 | |
(5 情報) | “推進派”“反対派”という表現は不適切だったかもしれない | 市民パネル | 57 |
盛り込めなかった論点 | 臓器移植を進めることによる、臓器不足への懸念 | 市民パネル | 55 |
移植後進国であることで不都合があるのか、人間はどこまで生きればいいのか、途上国の命がどれだけ粗末に扱われているか、といった問いが、考え学習すべき多くの具体的な問いの前にかき消されてしまった | 市民パネル | 55 | |
「臓器移植、是か非か」という根本的な問題を避けて横道から臓器移植の問題点を検討した | 市民パネル | 56 | |
「家族の同意」「意思表示できる人・出来ない人」の問題は今回の提案には含められなかったが、このことについても多くの方に考えて頂きたい | 市民パネル | 57 | |
市民パネルとして脳死移植について意見表明・態度表明すべきだった | 市民パネル | 67 | |
あの世・魂などの、いわゆる非科学的なことについて、議論が必要 | 市民パネル | 73 |
2)手法に関すること
意見の内容 | 参加者属性 | Page | |
---|---|---|---|
手法全般 | もっと参加者がリラックスできる余裕のある会場設営と雰囲気作りを | 市民パネル | 51 |
納得できないなら、おかしいと思うなら、引き返して議論し提案するのが市民会議の役割 | 市民パネル | 55 | |
第2日目、第4日目に関しては「宿題」があってもよかったと思う | 市民パネル | 57 | |
“容易には理解が難しい事”を、短時間に一定のレベルまで理解することは非常にメリットがあり、この手法でそれが実際に実現できたことで、この手法は高い評価に値する | 市民パネル | 58 | |
達成度に応じた提案の性格変更、質問を厳選、2倍の8日間開催、提供資料充実 | 専門家 | 78 | |
科学的判断以外の要素を考えるための議論が少なすぎた。そうした議論が必要になることは予想できたので、議題やパネラーの設定等、もう少し工夫できなかったのか | 専門家 | 84 | |
脳死・臓器移植についてこう考えるという「議論」が行われず、意見を分類して質問や提案を構築する「作業」が主体となってしまった | ファシリテーター | 92 | |
陪審員制度のような無作為抽出は、運営コストの問題もあって日本では当面実現の見通しはなさそう。いまのところ現実的な市民参加の方法は公募であり、その特徴を理解したうえで活用することが現実的 | ファシリテーター | 93 | |
質問に対する回答から話を「やりとり」にまで膨らませることは非常に困難だった | ファシリテーター | 94 | |
コンセンサス会議との相違点は手法としてどのような効果があったのか | 事務局 | 96 | |
市民の考えを制限してしまう可能性のある市民陪審的な方法と比べて、多様な課題を発見していく手法として、今回の手法は有意義。ただ、何について判断してほしいかという最終テーマは必要ではないか | 事務局 | 99 | |
市民パネルと専門家との対話の深まりは得られたか。また、それをどう評価するか | 事務局 | 101 | |
評価項目について事前に何らかの検討があってしかるべきだった | 事務局 | 102 | |
専門家同士で議論する場面や、専門家が一市民として発言する場面、専門家と市民が混じって議論をする場面がもっとあった方がよかった | 市民パネル | 69 | |
社会実験の意味・位置づけ | 市民参加の方法を模索するための“ゲネプロ”のようなものであり、“実弾”とは違うという退いた思いがあった | 市民パネル | 54 |
「社会的合意」「コンセンサス」「対話」とは何なのか、どのような意味があるかを、十分考えることなく物事が始まり、企画の意図・趣旨が明確でなかった | 専門家 | 80 | |
テーマ設定 | これほどセンシティブな問題を研究の題材として用いることに不安や違和感を感じる | 専門家 | 84 |
個別具体的なテーマの根底にある人間観・社会観についての議論を深めていく必要がある | 説明者 | 88 | |
市民パネルの構成 | 市民参加者が、テーマについて共通の問題意識を持っていることが対話の機会を狭めていたのではないか。テーマに積極的な関心を有しない人に参加を呼びかけた方が創造的な対話の場を設けることができたのではないか | 説明者 | 87 |
専門家の構成 | 「専門家」に政治家がいればなおよかった | 市民パネル | 66 |
専門家の人選の偏り | 専門家 | 79 | |
市民パネルの事前交流 | 1、2ヶ月前に「市民パネル準備会」が必要。基礎知識の学習と、自己紹介も兼ねて、自己の持っている知識・理解、経験さらには死生観等をゆっくり話し合う | 市民パネル | 71 |
どのような思いでこの会議に参加しているのか、参加者同士の間でもっと交流や議論があった方が良かった(第1日目、専門家の話を聞く前に) | 市民パネル | 69 | |
時間配分 | 専門家同士の議論の時間を増やし、もっと充実させてほしかった | 市民パネル | 51 |
情報をインプットする時間に比べて、アウトプットの作業時間が短かった | 市民パネル | 57 | |
時間配分、スケジュールに余裕を持たせる必要があった | 市民パネル | 65 | |
時間的制約を乗り越えるための工夫が講じられていたか | 事務局 | 101 | |
市民/専門家 | 主催者側の「専門家」「市民」の概念上の区別、役割設定について聞きたい | 市民パネル | 69 |
「合意を目指して市民としてふるまう」ことが要求されていたため、発言をためらうような雰囲気や自制心を感じた | 市民パネル | 69 | |
限定された空間の中で「市民」という主体が作り出されている。脳死・臓器移植の問題に関して、「専門家」「市民」という対立を反復することには注意が必要 | 市民パネル | 70 | |
情報提供 | 最初に「脳死は人の死か」という問題の本質部分をキーとして、色々な立場の人から説明が受けられることは、非常に効果的だと思った | 市民パネル | 58 |
移植全般についての話もあったうえで、脳死と臓器移植について議論したほうが良かった | 市民パネル | 58 | |
事前に専門用語の用語集を配布してほしかった | 市民パネル | 58 | |
事後に配布する資料は発言者の言葉をなるべく正確に再現したものであるべき | 市民パネル | 59 | |
第1日目の基礎知識の学習は、各自が資料を読んで勉強しておくだけで十分だった | 市民パネル | 66 | |
専門家からの「情報提供」ではなく「意見提供」と称するべきではなかったか。専門家の情報提供への主観の混入 | 傍聴者・事務局 | 99 | |
グループ分け | グループ分けは、全員と当たれるように機械的な割り振りをした方がよかったのではないか | 市民パネル | 65 |
KQ | 第1日目の専門家に答えてもらうことをイメージしてKQをつくったので、疑問に直接答えてもらえなかった問いがあった。あて先を個別に限定した問いと、第3日目の専門家全員に答えてもらう問いとを分けておいた方がよかった | 市民パネル | 57 |
合意のルール | 第2日目、KQの長さや盛り込める内容の数が柔軟だったため、一人が言っているにすぎない意見が全体としてのKQに入りそうになってしまった。対話を促し合意を形成するには「容量」「枠」が必要。それが柔軟なときは、第4日目のように「足切りルール」が必要 | ファシリテーター | 92 |
合意のルールは適切だったか?市民パネルの発言よりも事務局案が優先されるようなルール運用がなされたことへの疑問 | 事務局 | 97 | |
ルール | 第1日目、専門家としての自由発言ができないルールになっていたため、他の専門パネルが事実と異なることを述べた際などに質すことが出来なかったのが残念 | 専門家 | 87 |
参加者の変容 | 専門家が本企画から何を学んだかも中心的なテーマ | 説明者 | 87 |
個々の市民パネルの意見変容がどの程度起こったのか | 事務局 | 101 | |
第3日目 | KQが十分いかされなかった。KQに答えていなかったり、自分の主張を述べるにとどまったりする専門家がいた | 市民パネル | 65 |
第3日目のグループ討論は、専門家にとってはどのグループでも同じような質問をされ、同じ答えを3回繰り返すに終始した感じ | 市民パネル | 65 | |
第3日目のグループ討論の効果については、市民パネルと専門家による評価が必要 | 事務局 | 96 | |
第3日目の対話は市民・専門家双方にとって貴重な機会。もう少し時間を増やしてもよかったのではないか | 事務局 | 100 | |
市民パネル | コミュニケーション・スキルのある人とない人の差 | 市民パネル | 52 |
「市民の提案」の記者発表は市民パネルがすべきではなかったかと反省 | 市民パネル | 52 | |
何からの思いがある人しかこのようなイベントに参加しない | 市民パネル | 53 | |
パネル全体として普遍的な話し合いができるような、参加者への意識付けを検討する余地がある | 市民パネル | 65 | |
説明者 | 市民パネルが説明者に説明を求めた機会は少なく、説明者の関与による議論の効率性への貢献は限定的だった | 事務局 | 96 |
事務局作業に説明者が加わることに対する懸念 | 事務局 | 96 | |
ファシリテーター | ファシリテーターは全体として合格点だったが、中立性を疑わせる場面もあった(議論の誘導、意見の切り捨てなど) | 市民パネル | 54 |
「筋の良い/悪い」意見の取捨がファシリテーターを中心に行われた。何が多数決の対象であるかの選択は、ファシリテーターにゆだねられた | 説明者 | 89 | |
事務局 | 第4日目の午前の議論の内容が、事務局のまとめを経て、午後に生かされなかった(グループ討論での構造化が、生かされなかった) | ファシリテーター | 95 |
事務局スタッフの傍聴手法を洗練すべき | 専門家 | 79 | |
事務局が文書作成の作業に関わっており、市民パネル主導の印象が薄かった | 事務局 | 96 | |
事務局主導の印象が生じることも覚悟のうえの設計だとしたら、その分、議論は深まったのだろうか | 事務局 | 96 | |
記録の取り方・利用の仕方は適切だったか?書記による記録は正確さに欠ける一方、市民パネルにはあまり利用されていなかったのではないか | 事務局 | 97 | |
事務局と運営委員会の役割分担の必要性 | 事務局 | 101 | |
パブリシティ | メディアの報道(毎日新聞)は残念。市民の合意を形成する装置を期待するのではなく、市民パネルが専門家との対話を通じて悩み続けたことこそを伝えてほしかった | 市民パネル | 63 |
市民提案がホームページに掲載されていない | 説明者 | 89 | |
市民の提案 | 市民が誰に対して提案を行っているのかが不明確 | 事務局 | 101 |
脳死移植について市民パネルとして意見表明・態度表明すべきではなかったか | 市民パネル | 67 | |
専門家ではなく一般市民だからこそ、自由に考え、議論し、決められる | 市民パネル | 67 | |
主催者への要望 | プロジェクト全体を総括した資料がまとまったら紹介してほしい | 市民パネル | 52 |