Wakamats イベント「市民が考える脳死・臓器移植」の成果・資料公開



科学技術への市民参加型手法の開発と社会実験 −イベント「市民が考える脳死・臓器移植」を中心に−

第4章 イ ベ ン ト 準 備 の 記 録 詳細設計・参加者募集・専門家ネットワークの形成

三上直之・林真理・香西豊子 *1

1. はじめに

社会実験によって適用可能性を検証した新たな参加型手法を社会に示すこと、また、この社会実験を通じて、一般市民が生命操作に関わる技術について熟慮した結果を社会に示すこと。これが、当初から本プロジェクトの中心的な目的であった。私たちは、その社会実験を、2005年1月29日、2月5日、26日、3月5日の4日間、「市民が考える脳死・臓器移植−−専門家との対話を通じて」という公開のイベントとして実施した。このイベントは、実際に一般から参加者を公募して構成した市民パネルと、医師や法律家、倫理学者、科学史家、移植コーディネーターなど専門家の参加を得て、脳死・臓器移植をテーマとした対話型のワークショップを行ったものである。

前章までに報告したとおり、この社会実験に向けた手法設計研究は2004年春からプロジェクト内の作業グループを中心に進められてきたが、イベントに向けた準備が本格的に始動したのは、本プロジェクトが終盤にさしかかる2004年秋のことであった。その時期以降をイベントの「準備・実施過程」と見なし、本章と次章において、これについて報告する。

社会実験とは、一つのイベントを実行することを通じて研究者が実社会に「介入」し、それによって自らの研究成果の適用可能性を検証する活動である。この実社会への「介入」という側面を持つがゆえに、社会実験では、一般の研究以上に、限られた時間のなかで人的・資金的・制度的その他諸々の条件をクリアしつつ、プロジェクトを管理していかなければならないという難しさがある。その意味で、以下におけるイベント準備・実施過程の報告は、研究成果のレポートとしてのみならず、今後、本プロジェクトで試行した手法を実践家・研究者の方々に応用・参照していただくことを念頭に置き、この社会実験イベントの運営・管理の実際を、時系列にできるだけ詳しく記述した。

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*1  本章は、三上が1節〜3節および4節の1を、林が4節の2および5節を、香西が6節を担当した。

2. イベント概要の決定

2.1. 目的・手法設計の方針・市民参加者の数

2004年11月20日、東京都千代田区永田町の財団法人政策科学研究所に、プロジェクトメンバー約30人のうち20人近くが集まった。社会実験イベントの市民参加者募集を始めるのに必要な事項を議論するために開かれた、プロジェクト全体の研究会である。イベントの日程を2005年1月29日、2月5日、26日、3月5日の4回の土曜日とすることは先に決まっていたが、この日程で実施するには、市民参加者の募集を遅くとも12月上旬には始めなければならず、さらにその前に、イベントの骨子だけは決めておかねばならない。プロジェクトメンバー間の日程調整の問題から、全体研究会を頻繁に開くことは難しいため、メンバーの大半が集まったこの機会に、イベント企画の概要を確定する必要があった(結果的に、この研究会がイベント前、最後の全体研究会となった)。

この日の研究会の議題は、(1)イベント開催の目的、(2)主催者、(3)手法設計の基本方針・テーマ・市民参加者の数、(4)準備日程、(5)イベントの名称、(6)専門家ネットワークの形成、(7)ファシリテーターの依頼−−であった。このうち、イベント開催の目的、手法設計の基本方針・テーマ・市民参加者の数については、すでに方針が固まっており、それらを代表の若松征男が文章化したものを、参加したメンバー全員で確認した。

まず、イベント開催の目的としては、以下の4点を確認した。4点目は、目的そのものというよりは、目的に付随する重要事項という性格が強いが、いずれにせよ、この4点が今回のイベントの基本的な方針であった。

手法設計については、これまでのプロジェクト内での検討を踏まえ、コンセンサス会議をベースとして、市民が、専門家と対話を深めながら課題(今回の場合は「脳死・臓器移植」)を考えられるよう設計する、という基本方針を改めて確認した。4日間の大まかな流れとして、第1日目に市民パネルが専門家・事務局から基礎的な知識・情報の提供を受け、第2日目に市民パネルのみによるワークショップ、第3日目に市民と専門家によるワークショップを行い、第4日目に再び市民パネルのみでまとめの作業を行うことも確認した。最終日に市民パネルがまとめる議論の成果は、課題についてのコンセンサスそのものである必要はなく、「今、社会が、課題についてどのように考えるべきか」(議題設定)をまとめられる手法とすることも確認した。

また、市民パネルを構成する市民参加者の数は、15人(+α)とすることも決めた。過去のコンセンサス会議の経験から、この人数が熟議のためのグループ・サイズとして適切だと考えられたためである。性別・年代など多様な属性の市民パネル構成とすることが理想であるが、この研究会の時点では、「募集資源がわずかであるため、15人を集めることに最大限努力する」という方針を確認した(実際に市民参加者募集を進めていくと、予想以上に多彩な顔ぶれを持つ数多くの応募者に恵まれた。詳しくは後で述べる)。

2.2. イベントと主催者の名称

以上は、プロジェクト内でほぼ決定していたことの確認・確定であったが、市民参加者を募集するに際しては、さらにいくつかの事柄を新たに決める必要があった。

第一は、ネーミングの問題である。ネーミングとしては、イベント自体の名称をどうするかということのほかに、イベントの主催者となる私たち研究プロジェクトが、一体どのように名乗るかという問題があった。

後者に関して言えば、正式名称としては、すでに「笹川平和財団助成『科学技術への市民参加手法の開発研究プロジェクト』」というプロジェクト名がある。これは、本プロジェクトの内容や、それが助成研究のチームであるという事実も正確に伝えているのであるが、問題は、この名前が長すぎて、とくに参加者募集や広報の際には使いにくいことである。そこで、私たちが科学技術への市民参加手法の開発をテーマとしてアドホックに集まった研究者集団であるということが分かり、しかも短くて覚えやすい名称を、この日の研究会で考えることにしたのである。メンバーからは、「市民参加型手法研究会」「市民参加の手法研究会」「市民参加研究会」「市民の参加を考える会」などの案が出され、簡潔さを優先して、「市民参加研究会」という名称が決まった。これ以後、イベントに関して対外的に情報発信をする場合には、この名称を使うことにし、可能ならば「笹川平和財団助成『科学技術の……プロジェクト』」という正式名称も添えることとした。

一方、イベント自体のネーミングに関しては、(1)専門家との対話を通して市民が「脳死・臓器移植」について考えるイベントであること、(2)専門家との対話ワークショップの手法を用いること−−の2点を簡潔に表現したものという条件で、プロジェクトメンバーが様々な案を出し合い、最終的には「市民が考える脳死・臓器移植−−専門家との対話を通じて」とすることに決まった。

2.3. 「専門家」について

このイベントのネーミングにからんで、市民パネルに情報や知識を提供し、対話の相手となる人々をどう呼ぶかという問題がある。この人々を指すのに、本章ではここまで、断りなく「専門家」という言葉を使ってきたのであるが、これには実は様々な問題がある。

まず、この新手法での会議に参加する「専門家」には、“高度な学識や技術を持つ人”という一般的な意味での専門家に限らず、課題に関係する分野のNPO/NGO、当事者団体などの関係者も含まれる(この点は、新手法のベースとなったコンセンサス会議方式も同様である)。こうした人々は、課題について、市民がふつう有していない情報や知識を提供し、意見を述べることのできる人々である点では共通しているが、一般的な意味での専門家という言葉との間には(重なる部分も多いのだが)無視できないズレがある。

また、新手法が想定しているような論争的な課題に隅々まで精通している人は、「専門家」の中にも決して多くはない。むしろ「専門家」に期待されるのは、自らの専門の立場や経験を生かして、課題を考えるうえで必要な知識や情報を提供する役割である。ところが、「専門家」という言葉は、あたかも課題全体についての「専門家」が存在し、その専門家の説明を正しく理解することが市民パネルの役割だ、という誤解を生じさせる可能性がある。

新手法や、そのベースとなったコンセンサス会議に参加する「専門家」には、たしかに、それぞれの分野での教育や訓練、経験を通じて、「高度の」技能を有している人も多い。しかし、市民参加型手法に要請されているのは、「専門家」も市民参加者も、対等な立場で対話をすることである。対話の一方の参加者を「専門家」と呼ぶことで、ワークショップの場で対等であるべき両者の間に、上下関係が持ち込まれる危険性がある。

以上のような問題点を考慮して、今回のイベントでは、「情報提供者」という呼び名を用いることにした。これは、いわゆる「専門家」が、この手法において果たす役割に着目した用語である。「専門家」というのがもっぱら「何者であるか」に着目した呼称であるとすれば、「情報提供者」の方は「何をするか」に着目した呼称であると言ってもよいだろう。ただし、この「情報提供者」という言葉は、「専門家」に比べると一般的ではないので、イベント名称や参加者への配布物、プレスリリースなどにおいては「専門家」を用い、可能な場面では「情報提供者」という言葉を補足説明として添えるという対応を取った。(以下、本章および次章での「専門家」は、とくに断りがない限り、この「情報提供者」の意味で用いている)

2.4. 公開/非公開

もう一つ、11月20日の研究会で議論となったのは、イベントの公開/非公開の問題である。新たな参加型手法の試行を広く社会に知ってもらい、また手続きの公正さを保証する意味で、メディアや一般からの傍聴者を受け入れることには大きな意義がある。しかし、とくに市民参加者の立場からは、取材者や傍聴者の前で発言することは緊張を強いられることであり、議論のすべてを公開とすることは、自由で円滑な熟議を妨げるおそれがある。今後、この手法を使っていく際には、第2・4日目を中心に、市民パネルのみのグループ討論は非公開とするのが妥当だと思われるが、今回は、社会実験であることを考慮に入れ、どの程度公開すべきか検討する必要があった。

全体研究会では、4日間を通じてすべて非公開にすべきだという意見は出なかったものの、公開の程度に関しては、「市民パネルの活動を妨げない限り、原則として全ての日程を公開すべき」という意見から、「専門家が参加する第1・3日目の全体会など、一部の会合は取材者・傍聴者を入れても構わないが、市民パネルの相互作用を妨げないように、とくにグループ討論の際は傍聴者を入れるべきではない」といった意見まで、様々であった。この日の研究会では結論が出なかったが、その後、研究プロジェクト内で検討を重ね、今回は実験であることを考慮し、市民パネルの活動を妨げないことを条件に取材者・傍聴者を入れることになった。

このほか、11月20日の研究会では、先に述べた手法設計の方針に基づいて、具体的にどのような詳細設計(プログラム)とするかについても、代表の若松や、プロジェクト内の作業グループのメンバーが、これまでの検討結果を報告し、全体で議論した。また、市民参加者の募集方法やスケジュールについても検討・決定した。

3. 手法の詳細設計

3.1. 詳細設計の手順

2004年11月20日の全体研究会での議論を受けて、11月下旬から手法の詳細設計の作業が始まった。

詳細設計とは、ワークショップや会議において、参加者が十分な相互作用を行ったうえで最終的に目標とする成果にたどり着くことができるよう、与えられた時間枠(今回は6時間×4日間=24時間)のなかに、グループあるいは全体での討論や作業、プレゼンテーションなどの活動を連続的に配置する作業である。詳細設計の作業成果は、「マニュアル」ないしは「プログラム」として表現される。本プロジェクトにおける社会実験の場合、詳細設計を表現する成果物は、主に、(1)討論・作業の内容とスケジュールを記した「プログラム案」、(2)個々の討論・作業の進行方法や主催者側スタッフの役割分担なども書き込んだ「事務局マニュアル」(本報告書に巻末付録として収録)、(3)市民参加者向けに簡略化した「4日間のプログラム」(別冊資料集に収録)の3種類であった。

実際の作業は、プロジェクト内の作業グループが、代表の若松とメールや電話で連絡を取りながら進めた。その経過としては、まず2004年11月下旬から12月中旬にかけて、前節で述べた設計方針をもとに、(1)「プログラム案」の作成作業を行った。途中、何度か原案をプロジェクト内のメーリングリストで回覧・検討し、12月下旬に完成させた。これを、イベント当日にファシリテーターをお願いする庄嶋孝広氏・深田祐子氏(ともに東京ランポ事務局)、水谷香織氏(岐阜大学)にもご覧いただき、ご意見をうかがった。ここで頂いたコメントも反映させつつ、2005年1月以降に、より詳細な(2)「事務局マニュアル」と、簡略版である(3)市民参加者用の「4日間のプログラム」を作成した。

なお、(3)市民参加者用の「4日間のプログラム」は、イベントの目的や参加者の役割、注意事項、また脳死・臓器移植に関する基礎的な情報などをまとめた「市民パネルのためのマニュアル」(A4判16ページ)に収録した。「市民パネルのためのマニュアル」は、イベント第1日目の2週間前に、事務局から参加者全員に郵送した。

また、これらプログラム設計と並行して、当日使用する会場(第1・3・4日目は日本教育会館、第2日目は科学技術館)の下見と会場配置の検討も行った。

3.2. CCからDD(ディープ・ダイアローグ)へ

手法設計の検討は、2004年春からプロジェクトチーム内の作業グループにおいて進められ、11月20日の全体研究会までには、基本的な方針が固まっていた。その方針とは、すでに述べたとおり、コンセンサス会議をベースとし、市民が専門家と対話を深めながら課題を考えられるよう設計する、というものであった。一方で、2003年度に行った参加型手法に関する海外調査(第1章参照)や、2004年度に入ってから本格化した手法設計の検討作業(第3章参照)を通じて、コンセンサス会議の諸特徴を生かしつつ、改良を加える余地も見えてきていた。なかでも次の2点が重要なポイントであった。

第一は、市民同士だけでなく、市民と専門家との対話を深める必要性である。たしかに、コンセンサス会議のプロセス全体を通して見れば、最初に【専門家→市民】の情報提供があり、次に【市民→専門家】の鍵となる質問が提示され、それに対して【専門家→市民】の回答があるという具合に一定の双方向性はあるのだが、会議の個々のステップを見ると、必ずしも市民と専門家との深い対話がなされる設計とはなっていない。そこで、市民が抱く疑問や不安、思いを専門家に投げかけ、ひととおりの回答を引き出すだけではなく、回答に対して再質問したり、質問を契機に専門家と市民とがある程度まとまったやり取りをしたりすることが可能な設計を目指すことにした。同時に、異なる分野の専門家同士が討論し、その討論を市民が聞いて熟議の手がかりを得られるよう設計を工夫することにした。

第二は、最終的な成果のイメージである。コンセンサス会議においては、課題をめぐる市民パネルの合意が、「コンセンサス文書」ないしは「市民の考えと提案」として出力される。これが会議の直接的な成果である。ただ、課題の性格によっては、課題自体についての明確なコンセンサスを得ることが難しい場合もあるし、また性急にコンセンサスを目指すよりも、課題をめぐって何が真の問題であり、これまで一体どんな議論や取り組みがなされてきていて、今後、何を論じ 何をなすべきなのかといった課題整理をすることが求められるケースもある。そこで新手法においては、最終的な成果のイメージに幅を持たせ、必ずしも課題についてのコンセンサスを目指さないことにした。これは、課題についてのコンセンサスに達することを避けるものではない。コンセンサスに達した部分に関しては、それも成果に含めて構わない。重要なことは、課題についてのコンセンサスそれ自体を目的とするのではなく、課題について「今、社会が、どのように考えるべきか」という議題設定(アジェンダ・セッティング)を、市民パネルとしての理解に基づいてなるべく構造化した形で示すことを最終的な成果目標に置くという点である。

詳細設計の作業においては、これら二つの改良点を、いかにプログラムやマニュアルとして表現できるかが課題となった。この新たな方式は、まだ開発・実験段階であり定まった名称がないが、本プロジェクトではこの開発中の新手法を、コンセンサス会議(CC)方式に対して、さしあたり「ディープ・ダイアローグ(DD)」方式と仮称することにした。市民同士だけでなく専門家と市民との間での深い対話を目指すという意味を込めたものである。以下では、上記二つの改良点を中心に、「ディープ・ダイアローグ」方式の詳細設計の過程について報告する。

3.3. 市民と専門家との対話−−第3日目の設計

第一の課題は、市民と専門家との対話を促す設計とすることであった。4日間の全日程のうち、第2・4日目は市民パネルだけの議論であり、専門家が参加するのは第1日目および第3日目である。このうち第1日目は、専門家から基本的な情報の提供を受けるのが中心である。そこで、第3日目の6時間をどのように使うかが、詳細設計上の第一の具体的課題となった。

第2日目の議論で、市民パネルは専門家に対する「鍵となる質問」をまとめ、事務局を通じて専門家に送る。その質問への回答を専門家から聞くところから、第3日目の議論は始まる。詳細設計に際しては、まず午前中の2時間を、この回答を聞く全体会に当てることにした。事務局からの説明や質疑応答などの時間も確保する必要があるから、第3日目に参加する専門家が10人弱とすれば、一人あたりの回答時間は10分前後である。鍵となる質問では、脳死・臓器移植をめぐって、多岐にわたるテーマが取り上げられると予想されるので、この程度の時間は確保したいところである。

そのうえで、午後の約3時間を、15人(+α)の市民パネルが5〜6人ずつの3グループに分かれ、専門家数人ずつと直接に対話するグループ討論に当てることにした。3グループに分かれることで、参加者が発言できる時間は全体会と比較して単純に3倍になるし、市民パネル・専門家、ファシリテーターを含めても10人弱のグループで一つのテーブルを囲むことによって、市民と専門家との距離が縮まることも期待できる。また、限られた組み合わせではあるが、専門家同士の意見交換も、ある程度まとまった時間、聞くことができる。このグループ討論は、市民と専門家の対話を重視した、新手法のハイライトであった。

このグループ討論を設計する上では、いくつかの課題があった。一つは、市民パネルおよび専門家を、どのように3つのグループに分けるかという問題である。また、これと関連して、グループごとにテーマを分担するか、それとも各グループがそれぞれに課題全体を扱うかについても決める必要があった。

プロジェクト内の検討過程では、当初、グループごとにテーマを分担することにし、市民参加者の希望に従って3グループに分かれてもらうという考え方があった。限られた時間を有効に使い、ポイントを絞って対話を深めるためには、各市民参加者が、課題(脳死・臓器移植)の中でもとくに関心のあるテーマに関して、質問や議論をする方がよいのではないかという発想である。

ただ、この場合、特定のテーマに希望が集中する可能性もあり、その際には、調整が必要となって運営上の作業が煩雑になる可能性が考えられた。また、かりに市民パネルはテーマごとに分かれることができたとしても、専門家をどのように組み合わせて三つのグループに分けるのか、その方針は見いだしがたかった。市民パネルが、鍵となる質問の作成を通じて見いだしてくるテーマの構造と、専門家の守備範囲とが一致するとは限らず、どのテーマにどの専門家を配置するかの選択は、恣意的にならざるをえない。これを事務局が行うとすれば、(その意図はもちろん無いが)議論を一定の方向に導いてしまう可能性があるし、一方で、市民パネルが専門家の組み合わせまで決めるのは理想かもしれないが、それでは、課題そのものについての討論に当てることのできる時間が不足することは明らかであった。さらに、そもそも市民参加者が自らの「希望」に従ってテーマを分担することが適当なのか、という問題もあった。

こうした検討の結果、今回の詳細設計では、市民パネル・専門家ともに、くじ引きによってグループ分けを決め、またテーマ分担はせずに、3グループがそれぞれ課題全体を対象に専門家と議論することにした。また、それぞれ3グループに分かれた市民パネル・専門家は、50分ごとに組み合わせを変えることにし、各市民参加者がすべての専門家とグループ討論において対話できるようにした。なお、第2日目・第4日目に関しても、毎回同様に事務局でくじ引きを行い、グループ分けを行うことにした。

3.4 第2日目・第4日目の設計

二つ目の課題は、最終的な成果のイメージである。今回のイベントの成果目標は、脳死・臓器移植という課題に関して「今、社会が、どのように考えるべきか」というアジェンダ・セッティングを行うことである。とくに、市民パネルだけで議論する第2日目・第4日目の詳細設計では、専門家からの情報提供や、対話を通じて、各市民参加者が得た理解や、疑問、不安、意見などを、市民パネルとしてのアジェンダ・セッティングにつなげていけるようにすることを目指した。

第2日目は、第1日目の情報提供を受けて、専門家への「鍵となる質問」をつくること、第4日目は、それまでの専門家の話を受けて最終的な成果を発表すること、とそれぞれ目的は違うが、基本的には同じような進め方で設計することにした。

すなわち、最初に、いわゆるKJ法の要領で、市民参加者がグループ討論で疑問や感想、意見などをカード(付箋紙)に書き出し、それを全体会で模造上に貼り出し、関連するものをグループ化して構造化していくことで、検討する必要のあるテーマを明確にする(この際、後で3グループに分かれて検討することを考えて、テーマ数は6つを上限とするというルールを設ける)。そして、得られたテーマをグループごとに分担して、さらに内容を深めていく。そして最後に、全体会を開いて各グループの議論を集約して、市民パネルの議論の成果として文章化する。この成果とは、第2日目については、大きく分けて6つ以内のテーマにわたる 専門家への「鍵となる質問」であり、第4日目は、「今、脳死・臓器移植について社会として何を考えるべきか」について、テーマごとに整理し文章化した「市民の提案」である。

3.5. 市民パネルへの「支援」について

参加型手法において議論と作業の主役となるのは、言うまでもなく市民パネルである。市民パネルが専門家から情報提供を受け、市民パネルが疑問や感想、意見を出し、市民パネルがそれらを整理し構造化し、「鍵となる質問」や「市民の提案」としてまとめていく。ただ、市民同士あるいは専門家との対話を重視すればするほど、議論の内容を書きとめ、また最終的な成果(質問や提案)として文章化していく作業に使える時間は不足することになる。また、第2日目・第4日目に、市民パネルだけで議論を進める際に、かりに課題に関して説明や情報の提供が必要になったり、疑問が生じたりしたときにも、専門家に質問や確認をしたりすることができない。

そこで、イベントでは、主催者側が委嘱したスタッフが、市民パネルの活動を支援することにした。スタッフは、大別すると以下の3種類である。

こうした「支援」を行う場合、気をつけておかねばならないのは、それが一歩間違えると不適切な介入になりかねないという点である。とくに、説明者による説明や、事務局が行う文章化作業の支援は、議論の誘導につながる可能性がある。必要な支援と不適切な介入との間で、実際どこに線を引くことができるのかは難しい問題であるが、詳細設計の段階では、スタッフによる支援のあり方について、以下のようなルールを設けることにした。

まず、いずれのスタッフも、議論の内容や結論については一切意見を述べてはならず、あくまでも市民パネルの活動の支援に徹することが原則である。そのうえで、説明者については、(1)市民パネルが全体またはグループとして、説明を受ける必要があると判断したときに、ファシリテーター・事務局を通じて説明者に説明を求める、(2)質問と説明者の説明(回答)の内容は事務局が記録をとる、というルールを決めた。また、事務局による文章化作業の支援についても、必ず市民パネルの求めを受けて行うこととした。

以上のような検討を経て、2005年1月中旬には4日間の詳細設計が完成し、「市民パネルのためのマニュアル」として編集されて、イベントの2週間前に参加者全員に郵送された。また、第1・2日目に関しては、より詳細な「事務局マニュアル」をイベント開催1週間前までに作成した。

なお、イベント後半(第3日目・第4日目)の詳細設計に関しては、第2日目までの進行状況を踏まえて、改めてプロジェクト内で検討することにし、そのことをあらかじめ参加者にも伝えておいた。そして実際に、第2日目までの試行後、主催者側において第3・4日目のプログラムに若干の修正を加えることになった。この経緯は後で改めて報告する。

4. 参加者の募集と決定

4.1. 広報活動と応募状況

参加者募集のための活動も、2004年11月の全体研究会の後、すぐに始まった。広報活動のために、イベントの背景や手法、スケジュールの概要をA4判3ページにまとめた趣意書を作成、またイベントの趣旨と参加申込方法を記したチラシおよびポスターも作成した。さらに、プロジェクト代表の若松の研究室ホームページに、本イベントのコーナーをつくり、趣意書やチラシ、応募書類などをダウンロードできるようにした。

市民参加者の募集人員は15人。(1)脳死・臓器移植問題に興味・関心のある18歳以上の人、(2)全4回の日程すべてに日帰りで参加できる人−−の2点を応募資格とした。また、意見団体(NPO/NGOなど)の関係者や当事者は、「専門家」として参加することになっているので、「特定の意見を主張するための参加はご遠慮ください」と付記した。これは、意見団体の関係者や当事者などに関して、一律に市民パネルとしての参加資格を持たないと判断するのではなく、それらの関係者が、特定の意見や団体の立場を主張することを目的として参加する場合には、参加を遠慮していただくという意味である。したがって、他の市民参加者との議論を通じて、個人としての判断で意見を変更し、市民パネルとしての意見形成に向けて議論できる人は、かりに意見団体の関係者や当事者であっても、市民パネルへの応募資格を持つことになる。「特定の意見を主張するための参加はご遠慮ください」と書き添えたのは、そのような意図からであった。

応募方法としては、郵便・Eメールまたはファックスで若松研究室宛に申し込むこととした。締め切りは2005年1月7日(消印有効)とした。チラシでは、「市民パネルが、できるだけ多様な立場の方々によって構成されるよう、主催者が性別・年代等のバランスを考慮して選考」(募集チラシから)することも説明した。また、市民参加者には、謝礼(全4回の出席に対して2万円)と、自宅から会場までの往復交通費(実費)を主催者が負担すること、当日の昼食は主催者が用意することも書き込んだ。

なお、チラシには、この企画が脳死・臓器移植について市民が専門家と対話しながら考えるイベントであることに加え、科学技術への市民参加手法を開発するための社会実験として実施されることも明記した。

参加者募集は、2004年12月6日に開始した。広報活動は以下の方法で行った。

また、12月下旬に会場設計を行った結果、4日間とも約20人の傍聴者を収容できることが分かったため、12月末以降、主にメールや若松研究室のホームページに設けた本イベントのコーナーを使って、傍聴者の募集も並行して行った。

プロジェクト内では、募集開始前には、15人の市民参加者を確保できるかという不安もあったが、いざ募集を始めてみると、最初の12日間で当初予定していた15人に達し、その後も順調に応募者が増え、1月7日の締め切りまでに44人の応募を頂くことができた。

プロジェクトでは、なるべく多様な属性の参加者によって市民パネルを構成することを目指していたが、その点でも、男性が21人に対して女性が23人、年代も19歳から71歳にわたり、また職業も会社員や学生・自営業・主婦など、多様な属性を持つ応募者が集まった。代表の若松らが過去に別のプロジェクトで実施した社会実験の経験と比較すると、かなりスムーズに多様な属性を持つ人々の応募を得ることができた。それがいかなる要因によるものか−−例えば、課題の内容(脳死・臓器移植)によるものなのか、メディアでの紹介も含めたパブリシティによるものなのか、その他、日程・会場などの条件によるものなのか−−については、別に検討する必要があるだろう。

なお、44人の応募者が、本イベントについて知った情報源(無回答あり)は、新聞が26人で最も多く、次いでインターネット・ホームページ等が7人、知人・友人(本プロジェクトメンバーを含む)からの紹介が5人、図書館・大学で掲示等を見た人が2人だった。

4.2. 市民パネルの決定

44人の応募者から市民パネルを決定するため、2005年1月10日、政策科学研究所会議室で会合をもった。プロジェクトチームの若松征男、塚原修一、三上直之、林真理の4人が参加した。会合は、これまでの議論の中で得られた市民パネルの決定の基本的な方針を確認した後、その後は相談を行いながら事務的に進めた。

方針:

「市民パネルが、できるだけ多様な立場の方々によって構成されるよう、主催者が性別・年代等のバランスを考慮して選考」(チラシより)が基本的な方針であることが確認された。

したがって、応募動機、応募のきっかけとなった情報、地域性などは、参加者の動向を知るための資料としては使うとしても、この市民パネルの決定においては参考にしないことにした。

手順:

44名のうち、応募後の予定の変化により取り下げた応募者が1名あったので、その1名を抽選に加えないことにした。また、さらにその残りの中から話し合いに参加できるかどうか疑わしい応募者(1名)、条件付き参加希望を表明している応募者(2名)については、抽選に加えないことにした。残りの40名で抽選を行うことにした。

15名の参加者を最低でも確保したいと考えたので、17名を選出することに決定した。

40名を、年齢と性別で、計10のカテゴリーに分類した。年代は、20代(18,19を含む)、30代、40代、50代、60才以上と5つに分けた。

この10通りのカテゴリーの中で、応募者が2名しかなかった「30代女性」「40代男性」「60歳以上女性」という各カテゴリーからはそれぞれ1名、その他のカテゴリーからはそれぞれ2名を選んで、計17名を市民パネルとすることを決定した。このようにしても年代・性別の偏りはあまり生じないこと、補欠にあたる市民パネルをできるだけ同じ属性から確保する必要性から、そのように決めた。

また、応募書類に書かれた情報から、同じ属性をもつことが既にわかっている参加者が重ならないように抽選を行うことを決めた。

以上をもとに、17名を抽選で決定した。

さらに、それぞれのカテゴリーについて補欠にあたる市民パネル候補者を決めた。決定した市民パネルが、初回以前に参加が不可能になった場合には、同一カテゴリーの補欠にあたる市民パネル候補者に代わってもらえるようにお願いをすることにした。補欠にあたる市民パネル候補が選べなかったカテゴリーについては、参加できない市民パネルが発生した場合には、それに近いカテゴリーの補欠にあたる市民パネル候補者を充てることを決めた。

公正を期すため、市民パネルの決定におけるランダム選択は、参加した4人が交代にくじ引きを行う形で行った。

確認:

以上を踏まえ、事務局(若松)があらためて出席の意思と可能性を電話で確認した。確認において16名の方については了解が得られたものの、残り1名は出席できないことが新たにわかった。その方の代わりに補欠として決めた市民パネル候補者にお願いをして、了解を得ることができた。このようにして17名の市民パネルが決定した。決定した市民パネルには依頼状を送付した。

遅れて着いた郵便物:

2005年1月7日の消印有効ということで締め切りを設定していたが、抽選後の12日になって到着した郵便が1通現れた。すでに決定者への連絡も始めており、抽選をやりなおすわけにはいかないと判断し、事情を説明して抽選に加わらなかったことをご理解いただけるようにお願いをすることに決めた。(このやりとりは、抽選会合参加者がメールで行った。)

事前に参加不可能になった市民パネル

1月18日に、すでに了承を得た方のうちの一人から、参加が不可能になった旨の連絡を受けた。大急ぎで補欠として決めた候補者に事務局(若松)が連絡をとって、参加をお願いすることができた。

途中で参加不可能になった市民パネル

1月29日の最初の会合の参加の後、市民パネルの一人にその後の会合に参加できないという事情が発生した。すでにイベントは開始しているため、(途中から新たに市民パネルを加えるというわけにはいかないとの前提で17名という予定より多い人数を確保していたので、)最初より1名少ない16人でその後の会合を続けた。

5. 専門家への依頼の過程と結果

図

図 専門家ネットワークの組織概要

研究手法にかかわるこのプロジェクトは、市民参加手法の具体的テーマを何にすべきか、というところから議論を始めており、そのためもともと脳死臓器移植という問題それ自体を扱ったことのある研究者はこのプロジェクト内には存在しなかった。

プロジェクトの中で「専門家ネットワークの形成」という仕事に主に携わることになる林真理は、2004年2月17日に初めてこのプロジェクトについて知り、3月19日の研究会からこのプロジェクトに加わった。その後の研究会等を経て、9月25日の会議で「脳死・臓器移植」をテーマにすることがほぼ決定し、そこから専門家ネットワークの形成という課題が開始した。

まず、10月から11月にかけて、専門家のネットワークを形成するために、プロジェクト代表者の若松が林を通じて依頼し、「専門家ネットワーク形成ワーキンググループ(WG)」に参加してもらうよう、専門家(いわば「第一次専門家」)にお願いをした。

この際にお願いをしたのは、この脳死臓器移植という問題に関係する領域において研究業績があり、またこの問題に関して市民パネルとダイアログを行っていただきたい「専門家」(いわば「第二次専門家」。以下で「専門家」と記すのは、こちらにあたる。なお、ここでの「専門家」という用語の使い方については議論があり、注意が必要。「準備実施過程」の報告を参照のこと。)への橋渡しをしてくれそうな方で、林が直接ないし間接に存じ上げている(しかしあまり親密なつきあいがあるわけではない)範囲の方であった。また、このWGの構成が専門家に不信感をいだかせて肝心の専門家への依頼の障害となるということがないような構成にしたいということは考えた。

結果として、以下のような専門分野から3人の方にWGへの参加をお願いし、引き受けていただけることになった。また、SPFプロジェクトのメンバーである、林真理、香西豊子(2004年11月17日からプロジェクトに参加)も、このWGに加わった。

「専門家ネットワーク形成WG」のメンバー構成

※以上5人に加えて、主催者を代表して若松征男もWGに参加した。

専門家ネットワークWGのメンバーは、(1)イベントにおける「説明者」、(2)事前資料の作成、(3)イベントへの出演をお願いする専門家候補の提案および専門家への依頼、を行った。

WGは、以下の日程で会議を行った。主に事前資料の検討、1日目午前「説明者」の分担について検討を行った。これらについては、メールでもやりとりを行った。

2004年12月12日(日)出席者:空閑、蔵田、香西、中山、林、若松

2005年1月23日(日)出席者:空閑、中山、林、若松

専門家との交渉、依頼は、WGメンバーの助言を受けながらプロジェクトの責任で行った。

専門家をお願いするにあたっては、プロジェクトおよびWGで、次のような意見が出た。どれも正当なものであると考えられた。

手法の都合で1日目の専門家は6名、2日目は6〜9名という制限があった。したがって、以上のような条件をすべて満たすのは難しいが、できるだけ上記のような要望が満たされるようにいろいろな方へのお願いを試みた。

このさいに、専門家の枠をあらかじめ特性ごとに分割し、それに当てはまる人を探すという手法はとらなかった。というのも、お願いをした専門家はそれぞれ個性が強く、立場が微妙に違っているため、ある人にお願いをしてダメであればその代わりの人を探せばよいというものではなく(そんなに都合よく、まったく同じ特性の人など存在しないという場合が多い)、何人かに平行してお願いしながら、参加を承知してもらえるかどうかその反応を見つつ、全体のバランスを考慮しながらその後の対応を考えていくという形で進めざるを得なかった。最初から枠を決めて始めるのと比べると大変効率が悪く、進行の具合ははかばかしくなかったが、結果としてバランスを大きく乱さないで済むように進めることができたと考えている。

また、結果として多忙な専門家の方々へのお願いは「失敗」が多かった。失敗の例には以下のようなものがある。

その他、専門家へのお願いは失敗に終わるケースがたいへん多かったので、こちらがあらかじめ、やはり全体を見通して専門家の予定をたてておくわけにはいかないようなものであった。この意味で専門家へのお願いは、まさに「自転車操業」であった。

具体的にどなたに依頼すれば良いかという問題については、プロジェクト内部でもいろいろと話は出たが、特に医療関係者、法律関係者に関してはプロジェクトの外からWGに加わったメンバーの力によるところが非常に大きいものになった。

専門家への依頼は、WGのメンバーが「つて」をたどって行うケースもあったが、ウェブ上の公開共有アドレスに林がメールを送りつけるといういささか強引な手法をとった場合もあった。それぞれの方に対して、一番お願いしやすいと思われる方法でアプローチを行った。

パブリシティのこともあり、マスコミなどでこの問題について良く名前を取りざたされる方には、早めに約束をとりつけようと試みた。ただし、早め(といっても12月であるが)に「予約」を入れた方は、予定変更で仕切り直しになるケースも複数ケースあって、専門家へのお願いはなかなか進行しなかった。

実際に1日目(1月29日)の専門家が決定したのは12月末であった。また、3日目(2月26日)の専門家が決定したのは2月17日であった。

1日目も3日目もともに参加していただけた専門家の方は、結局お一人であった。これはあえて1日目と3日目の専門家を変えようとしたのではなく、専門家のスケジュールの都合でそうならざるを得なかったのである。つまり、1日目に都合の良い方は3日目がダメ、3日目に都合の良い方は1日目がダメ、というような具合であり、そのことがわかっても両日とも大丈夫という専門家を残された時間内に探す自信がない場合も多かった。両方大丈夫かと思われた専門家の方も、後からもう1日がダメであることがはっきりした場合もあった。ただし、最初から3日目だけにお願いした専門家の方もあった。

お願いをしていた専門家の方の予定が変更で出席取りやめになった場合、その方に代わりの方を探してもらうということもあった。そうではなくて、プロジェクトでひきとって考え直す場合もあった。それはケースバイケースで対応した。どのような方を紹介していただけるか想像がつきやすい場合には前者でも大丈夫だと考えたが、こちらがそれを予想できないケースでは後者のようにした。

また、そもそも救急医やコーディネータの方については、緊急の場合にいらっしゃれなくなる可能性も十分にあった(その場合はその方に代わりの方をご推薦いただくことを考えていたが、結局そのようにはならなかった)*。その意味で、専門家へのお願いは「綱渡り」であった。

何の公的な後ろ盾もない本プロジェクトの実施に協力して下さり、実際に市民パネルと対話して下さった専門家の皆さま、また(出席はいただけなかったものの)こちらからのお願いにお返事を下さったさらに多数の専門家の皆さまには、大変感謝いたします。

このようなやり方での専門家への依頼の是非、結果としてできあがった「専門家パネル」の中立性・公正さについては、ぜひご批判をお待ちしております。

* 移植経験者であり、かつ移植者のための活動に従事されていた若林正さん(トリオ・ジャパン)は、最初は出演のお約束をしていただけたのですが、結局体調を崩してご参加いただくことができませんでした。若林さんは、その後2005年3月8日に亡くなられました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

6. 事前資料および説明資料の作成過程

≪概要≫

今回のイベントでは、市民パネルの側にゆくゆくは必要とされるであろう情報を、専門家との対話にさきだち提供した。これは、対話のテーマが「脳死・臓器移植」という、医療や法律などさまざまな分野にまたがる問題であったことによる。けっして多いとはいえない専門家との対話の機会が、用語の意味内容の説明・確認や、問題の背景の共有などにのみ費やされて終わってしまうことをさけるためである。

この事前情報(「市民パネルのためのマニュアル」に収録する事前資料および第1日目の説明に使用する資料)の作成には、前節で述べた「専門家ネットワーク形成WG」の蔵田氏、中山氏、空閑氏、林、香西の5名があたった。

2度の会合とメールによる意見交換をとおして、それぞれの分野から提供する情報の原稿(A4・2枚程度、2005年1月10日締め切り)を作成した。その際に指針としたのは、(1)のちの市民パネルの議論やその結果にできるだけ影響をあたえないような情報提供に努めること、および、(2)市民パネルにとって理解しやすい言葉遣いや説明の仕方を採用することであった。

以下が、その具体的な過程である。

≪第一回 会合≫ 2004年12月12日

各自で作成した原案をもちより、検討しあった。

それぞれが想定していた、イベント第1日目でのプレゼンテーションの形態が異なっていため、原稿もワード文書とパワーポイント文書とに分かれたが、そこは情報が簡明に伝達されることを第一として、プレゼンテーションならびに原稿の形態は統一しないことに決めた。

また、模擬的なプレゼンテーションをおこない、みずからが原稿を作成する上で困難を感じている点や、たがいの原稿で修正を加えるのがのぞましい点を出し合った。そして、(1)蔵田の作成した原稿は、個別的な議論というよりも、議論全体を簡潔にまとめてあるものであることから、「市民パネルのためのマニュアル」に事前資料として収録すること、(2)現時点での原稿にはそれぞれ修正点があるので、ふたたび打合せの機会を設けること、を決めた。

≪第二回 会合≫ 2005年1月23日

第一回会合ののちに修正した第2稿をもちより、たがいに再検討をした(欠席者については、メールおよび電話にて対応)。さらに今回は、実際に説明資料を提示する場面を想定しつつ、限られた時間のなかで情報を市民パネルにスムーズにとどけるには、(1)説明資料を相互にどのように位置づけていけばよいか、(2)そのためには、どの順番で説明資料のプレゼンテーションを行うのがよいか、を話し合った。

(1)については、市民パネルが事前にマニュアル所收の事前資料(蔵田原稿)を読んでいることを前提とした上で、ほかの説明者は、それに自らの説明領域をうまく付随させるよう、再度、説明資料を作成しなおすことにした。

(2)については、「脳死・臓器移植」という言葉により密着していると思われる順に、まずは生物学(医学)的観点から「脳死」の説明をしたあとで(林)、国内外の(各臓器別)臓器移植の現状を統計をもちいながら報告し(空閑)、それが現在の日本において法的にはどのように扱われ、また問題とされているのか(中山)、そして、そうした問題はどのような経緯をたどって派生しているのか(香西)を、それぞれ説明していくこととなった。

≪メールでの意見交換≫

2度にわたる会合でも議論しつくせなかった点や、最終的な文言の修正などについては、メールを通して意見交換をおこない、それぞれに完成稿を作成した。

事前資料および説明資料は、以上の過程を経て作成され、市民パネルに提示された。所期の指針どおり、議論に介入することなく、うまく情報が市民パネルに伝わったかどうかは、のちの判定を待つのみである。